デッドエンドの子供はまたデッドエンドだと言う。
 そんなのただの悪循環じゃないか。
 その子には何の罪もないのに。


 water 2.



『―――……天気は西から東へと、雷を伴う大雨になることが予想されます』

 最近雲行きが怪しい。
 もともと空は灰色に腐ってしまっていたから雲の変化は分かり辛かったのだけど、今回ばかりは例外的に雲の色が違う。
 私は近くにあった喫茶店に入り、窓際の席から空を見ていた。
 ニュースによれば、もう何時間と経たないうちに大雨が降って来るらしい。
 実はこの状態は結構嫌なものなのだ。
 何故かといえば、腐った空から落ちてくる雨もまた腐っているわけで、人間には有害なのだ。
 即ちそれは毒素を含んだ水と同じような働きをしてしまい、雨が降ると決まってデッドエンドが出現してしまう。
 だからここに生きる人間は皆雨が嫌い。
 雨が降ると街に人の姿がなくなってしまうくらいだった。がらんとして、いつもは賑わっている街だとはとても思えないくらいに。
 今回の雲だってきっとそうだ。
 やがてすぐに大雨を降らせて、街から人を奪ってしまうのだろう。
 私はあの髪の立った人を見送った後、しばらく歩いてこの喫茶店に辿り着いた。
 初めて入った店であったけれど、雰囲気が静かでなかなか素敵なお店だと思った。
 アイスコーヒーだけを注文し、暫くして運ばれてきたそれをゆっくりと飲みながら、腐った空を見上げていた。
 この雨はきっとたくさんのデッドエンドを呼び、
 そして人がたくさん死ぬのだろう。
 そう思いながら。


 結局30分くらいその喫茶店に居座ってしまい、お金を払って外へ出ると、驚くくらい気温が下がっていた。
 思わず身震いしてしまった程のその寒さは、近いうちに雨が降ることを意味していた。
 腐った雨が降って来る。人を汚し、植物を殺す雨が降って来る。
 さっさと家に帰ろう、そう思って私はジーンズのポケットに両手を突っ込み、足早に歩き出した。
 その時だった。


 パタリ、



 「…………あ、」
 私の目の前に雫が降って来た。
 ぱっと顔を上げれば、無数の大きな雫がぱらぱらと次々に落ちてきていた。
 だめだ、降って来てしまった。私は小さく舌打ちし、来ていたパーカーのフードを被って走り出した。
 雨はどんどん激しくなり、ついにはザァァーという激しい音を立ててアスファルトを一瞬で濡らしていった。
 濡れていくアスファルトの匂い、行き交う人々の声、一斉に走り出していく皆の足音。
 もうすぐ、来るかなぁ。
 その前に帰ってしまえばいいだけだけど。
 さっきのニュースで、この雨は数日間降り続くだろうと、そんなことも聞いた。
 もう今日から数日間、外には出られないな。そう思った。
 さっき助けてくれたあの人に、もう一度会ってみたかったけど、それは叶わない夢だったのかもしれない。


『別に、目の前であんなの見たら誰だって助けるだろ。礼なんか要らねぇよ、どうせもう会うこともねぇだろうしな』


 そうだね。そうかもしれない。
 だけど、どうしてあの時あの人はそんなことを言ったんだろう。
 この雨が降り始めることを知っていたんだろうか、それとも何か、別の意味が?
 それに「もう俺に近付くんじゃねぇよ」という言葉。
 聞かれないように小さく言ったのかもしれないけど、私の耳にははっきりと届いてしまったあの言葉。
 あの人は、一体何を抱えていたのだろう。
 どこか、私の一番好きだった人に似ていた。
 似ている、だけだ。
 それだけだ。


 そして私はようやく家をみつけて一旦立ち止まり、ずぶ濡れになっているフードをかぶり直してもう一度走り出そうとして、






「―――――――……!」


 足を止めた。






 カッと光った雷光で、一瞬世界が真っ白になった。
 しかし、私はそれでも見た。
 真っ白な世界に映った、3人分のシルエットを。




「ッ3兄弟だ! 3兄弟が出たぞ!」
「避難して下さい! さぁ早く走って!」

 この雨は何てものを呼んでしまったのだろう。最悪じゃないか。
 3兄弟。
 普通のデッドエンドとは比べ物にならず、毎回10人20人、酷い時には50人くらい一気に殺していく奴等。
 世界を血の海で染め上げ、死んだように姿をくらますその姿は、最早悪魔でしかなかった。
 その姿を見た者はいない。その全てが殺されてしまっているから。
 彼等の視界に入って生き残った奴なんていない。
 それくらいに彼等は人間を憎んでいるようだった。人間こそが悪魔だと、そう言うかのように人を殺していった。
 だけど憎いのは私も同じだ。
 彼等ではないが、私の一番大切で、一番好きだった人をデッドエンド達は一瞬で奪っていった。
 許せるはずもない。許す気もない。
 私は立ち尽くしてしまった。後ろから洪水のように人が押し寄せては私に身体をぶつけて悲鳴を上げながら走り去っていった。
 もうすぐここも空になる。
 早く走らなければ、逃げなければ、私だって殺されてしまう。


 走り出そうとして―――――




「ッハッハッハ! 薄汚い人間ども! てめぇらを殺しに来てやったぞ!」

 ダン! と物凄い音を立てて着地したそいつらが叫んだ。いや、叫んだのは1人だ。
 私からは遠い位置だったので少し背伸びしないと見えなかった。少し背伸びをして見えたのは、デッドエンドにしては珍しい色黒の男だった。あれが兄だろうか。
 悲鳴が溢れ、走り出す人々の足音が多くなった。
 しかしそれでも私は走り出すことが出来ないでいた。足が竦んでしまっていたのかもしれない。
 周りを見渡せば、多分私と同じ理由で走り出せない人が何人もいた。完全に腰が抜けてしまって、ただその3兄弟を目に写しながらガタガタ震えている人もいた。
 色黒はその姿を見てニヤリと笑った。
 ゆっくりとそんな人達に近付き、私の目の前で持っていた斧を振り上げた。
 断末魔の叫びと、グシャリというような音と、ビシャリというような音が一気に私の耳に入って来た。
 へたり込んでいた人の姿はなかった。
 今残っているのはおびただしい量の真っ赤な血と、転がる肉片……
 そして、コツンと私の足に何かが当たった。何となく、何が転がってきたのかわかったような気がした。
 ゆっくりと足下を見た。
 今殺された人の首が、転がっていた。
 見開かれたままの目が、私を見た。
 思わず後じさった。そんなつもりはなかったけれど、首も蹴飛ばしてしまった。
 奥歯がガチガチと音を立てていた。冷や汗が溢れる。私はゆっくりと顔を上げた。
 色黒がこちらを向いて、ニヤリと笑っていた。

 私を、見ていた。




 ――――――私は、氷を背中に入れられたような冷たさを感じた。




「ッ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! 来るなぁ―――ッ!!」

 私は声の限りに叫んでいた。
 その時私は初めて、初めてこいつらへの恐怖を感じた。底知れない恐怖、こんな感覚は初めてだった。
 がむしゃらに前も後ろも、左も右もなく走り出した。何度も足が何かに躓いた。もしかしたら知らず知らずに人の首を蹴ったかもしれないと思うと気が狂ってしまいそうだった。
 声の限りに助けを求めて叫んだ。だけど私の周りはもうおびただしい量の血で溢れていて、誰も私を助けてくれはしなかった。
 人になんか頼っちゃいけない。だけどこのままじゃ殺されてしまう。
 1歩足を動かすたびにびちゃん、びちゃんと水が足へと跳ねあがる。一度だけ走っている足下を見ると、降って来た雨と血が混ざり合っていた。
 そして所々に転がっている人の手、足、首。
 少し周りを見れば、あの色黒が楽しそうに、嬉しそうに斧を振り回していた。
 次々にあの斧によって切り裂かれていく人々を見ていると、足が竦んでしまいそうだった。
 息はかなり上がっていた。喉が焼けるように痛い。足もそろそろ限界に来ていた。
 まだだ、早く家に、家に帰らなければ、そう思って私はさらにスピードを上げて走り出そうとしたときだった。

「――――……ッ!!」
 
 一瞬何が起こったのかわからなかった。ただ右足が何かに掴まれ、私は受身もとれず水溜りの中へと倒れ込んでしまった。
 不味い水と誰のかもわからない血の味が口いっぱいに広がった。じゃり、という砂の感触までする。
 最初はまた何かに躓いたのだと思った。しかしもう一度立ち上がろうと思って左足を立てて身体を起こしてみても、右足がどうしても上がらずにまた倒れてしまう。
 何かが私の足を掴んでいる。あるいは誰かが。
 私は起き上がって右足を見た。そこには
 

「……助けて下さい……お願いです、助けて下さい……」


 片腕が千切れ、僅かに繋ぎとめられたもう片方の腕の方で必死に私の右足を引き止めている女性の姿があった。
 千切れた傷口からは血が止めど無く溢れ続け、全身が真っ赤に染まっていた。
 これほどの、これほどの凄惨なシーンを見たことがあっただろうか? 私は自分に問いかけた。
 答えはNoだった。映画ですら、こんなシーンは見たことがなかった。
 信じられないかもしれないが、私は自分のことだけで精一杯だった。だから当然自分に助けを求める人のことなど考えられなかった。
 私はその腕を強引に振り払った。逃げることしか頭になかったから。
 そしてもう一度立ち上がろうとして、後ろを振り返った瞬間にそれは私の肩を掴んで落ちてきた。



 ダンッ!



「う……っ!」
 何かが私の肩を押さえてアスファストへと叩きつけた。背中に激しい痛みが走るのを感じた。
 もしかしたら今のでどこかの骨にヒビくらいは入ったかもしれない。組み敷かれた姿勢のままで思考だけが冷静だった。
 今度は一体何なのだろう、私は恐る恐る目を開けた。
 そして同時に聞いた。


「―――――……あばよ、人間」






 その、声を。
 その声を、
 私は覚えていた。



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