water 1.

「……ねぇ、聞いた? あの3兄弟、また10人くらい殺してったんだって……」
「うそ、ほんとに? まだ捕まってなかったの?」
「政府も政府よね、さっさとあの箱の中ブチ込んで殺しちゃえばいいのに……」
「嫌な世の中よねー……」

 最近、よくこんな会話を街で耳にする。
 通りすぎていく人々の会話はそればかりだった。私はコンビニにの前に座り込んでそんな会話を聞いていた。
 ここは何処にでもある小さな街。
 空気も清浄で、水も無害だなんて昔のこと。
 今は、人間が次々と生み出す新開発のせいで空気も水も死んでしまった。
 そして、人の心も。
 私は頬杖をついて座り込みながら、行き交う人々のそのまた上、灰色に濁る腐った空を眺めていた。



 デッドエンドが出現し出したのは私が生まれてからの話だからまだ新しい。
 私は今18。デッドエンドが世界中に広まり出したのは私が8歳の時、丁度10年前なのだ。
 あの頃のデッドエンドはただ人間が退化したような感じで、デッドエンドと人間の区別がすぐにはつかなかった。
 だが今は違う。
 今のデッドエンドの皮膚は恐ろしい程冷たい。まるで血が通っていないようだった。だから肩がぶつかればすぐに気付く。
 その他にも目が真っ赤になったりとか、恐ろしい程肌の色が白かったりとか、とにかくその姿は嫌でも目に入るのだ。
 その中でも特に今政府に問題視されているのは、先程の会話にもあった「3兄弟」と呼ばれる3人のデッドエンドだった。
 詳しくはわかっていない。突然現われ、人を殺して何処かへ消える。
 それだけならそこら辺に溢れかえっているデッドエンドと何ら変わったところはない。
 ただ、この3兄弟は一度に殺していく人の数が並大抵ではないのだ。
 10人20人は当たり前。酷い時には50人くらい一気に殺してその場所一帯を血の海にしてしまう。
 そしてただのデッドエンドは知能が低く、警察にすぐに取り押さえられ箱の中にブチ込まれるのに、その3兄弟は姿を現すようになってから2ヶ月、未だに誰の目にも留まらないのだ。
 デッドエンドに知能が生まれてしまったのだと通りすがる人々は言った。
 仮に誰かの目に留まったのだとしても、その人は殺されてしまうのだろう。
 その「3兄弟」は、今最も危険なデッドエンドだとして、世界中に指名手配されていた。




「デッドエンドが出たぞ!」


 はっとして私は立ち上がった。声が聞こえた方に目をやると、若い男の人がこちらに向かって走ってきていた。
 それを見て周りの人々も次々に走りだし、今出現したデッドエンドから逃げるように去っていった。
 目を凝らしてみると、交差点の横断歩道の向こう側、そこに警官数名がひたすら何かを取り押さえていた。
 あぁ、確かにあれはデッドエンドだ。
 ここから見ても目が真っ赤で、肌が恐ろしいくらい白いのがわかる。
 警官の腕を振り解こうと必死にもがいているが、数名がかりで取り押さえているので身動きが取れていない。
 幸いにも殺された人はいないみたいだった。
 
「……あれも、箱の中に入れられちゃうのかねぇ……」

 私と同じ位置でその光景を眺めながら、何時の間にか隣りに立っていた初老の女性が呟いた。


 
 箱というのは正式には「処分室」と呼ばれる部屋のようなものだ。
 部屋といっても、それは中に人が2人入ったらもう誰も入れなくなってしまうくらいに狭かった。
 だから人々は処分室のことを「箱」と呼ぶようになった。
 それは取り押さえられて捕まったデッドエンドを殺すための部屋で、3日から1週間ほど中に彼等を完全に閉じ込めてしまうのだ。
 そして水を一切与えず、彼等が死ぬのを待つ部屋だ。
 デッドエンドは毒素を含んだ汚れた水を飲まないと生きてはいけない。政府はそこにつけ込んだのだ。
 水を与えることがあってもそれは浄水機を通された水で、毒素は少しも含まれていない。
 何故こんな手の込んだことをするのかというと、外部の人間の感染を防ぐためだ。
 少しでもデッドエンドと同じ場所にいてしまうとその人間まで感染してしまう。
 それに銃で撃ち殺しても、死体を処分する時に血に触れてしまえばそれでも感染してしまう。
 だから政府は「隔離処分」という形を取った。
 処分室は完全に密閉されていて、外から人間は入れない。それに中に入っていたデッドエンドが死ねばそこから死体を出すことなく処分室ごと燃やすことが出来るのだ。
 燃やしても二酸化炭素や、有害なガスが出ないことに処分室の利点はある。
 今では処分室が何処にでもある世の中になってしまった。少し周りを見渡せば、ほらあんなところにも。

 そして案の定今取り押さえられたデッドエンドは警官に連れて行かれた。
 処分室が大量に置いてある建物に連れ込まれ、きっと箱の中に入れられるんだろう。
 私は暫くその場を動かずにその光景をじっと見ていた。
 可哀想な人達。
 それでいて酷く憎い人達。
 私の恋人はずっと前にあいつらの仲間に殺された。何にも罪のない私の大好きだった人を、あいつらは躊躇いもせずに殺していったんだ。
 もう何年も昔の話、だけど私の心は今でもずっとあの人に持って行かれたままだというのに、あの人を奪ったデッドエンドは今もこの世界にはびこり続けている。
 私にはそれが許せなかった。
 あんな処分室もデッドエンドも仲良さそうに歩いて行く恋人たちの姿ももう何も見たくないのに。
 私は小さなため息をつき、くるりと踵を返して歩き出そうとした。


 とん。


 私の肩と何かがぶつかった。誰かと肩がぶつかってしまったのだと思い、私は「すいません」と小さく謝った。
 そしてそのまま再び歩き出そうとしたところを誰かに腕を掴まれた。
 ぎょっとして振り返ると、髪を金や赤に染めた背の高い男達が集団で私を見下ろしていた。

「おいおい姉ちゃん、人に肩ぶつけといてそんな謝り方はないんじゃないの?」
「お兄さん肩の骨が折れちゃったよ」

 嫌な奴と肩がぶつかってしまったと思った。そいつらはこの辺りで有名な不良の集団だった。
 どうしたものだろうと掴まれた手を振り払おうとしたが、そいつらの力は思いのほか強かった。
 私はもう一度小さく「ごめんなさい」と頭を下げ、手を離して貰おうとした。
 しかしさらにぎゅっと握り込まれ、手首の骨が軋んだ。私の口から小さな悲鳴が漏れる。
 あぁダメだ、このままじゃ折れてしまう。どうしたらいいのだろう。謝っても聞く耳持ってる連中じゃないし、一体どうしたら。
 と、その時だった。


「お前ら、そのへんにしとけよ」


 聞いたこともない声が頭上から降って来た。
 今度は誰だろうと思って顔を上げると、私よりも背の高くて、この不良達と同じくらいの身長をした男が私の後ろに立っていた。
 髪が立っていて、不思議な空気を身に纏っていた。そして随分厚着をして、サングラスまでかけている。
 私の手を掴んでいた不良達が顔を上げ、その人を見た。物凄く睨んでいたけど、その人はつまらなさそうにそいつらを見ていた。
 その態度が余計癪に触ったのか、そいつらは私の腕を掴んだままその人に向かって掴みかかった。
 私は思わず目を背けた。きっと殴られるだろうと思って、殆ど無意識のうちに顔を逸らしていた。
 すぐに鈍い音が私の耳に入った。あぁ、殴られてしまった。私のために。どうしよう、どうやって謝ったら。
 ぐるぐると考えていた私の耳に次に飛び込んで来たのは、思いもかけない声だった。

「おい、大丈夫かよお前」

 耳を疑った。何時の間にか私の腕を掴んでいた手も離れていた。
 え? と思って目を開き、顔を上げるとその人は無傷で私の前に立っていた。
 恐る恐る周りを見ると、さっきまで私の手を掴んでいた不良達の方が鼻血を出して私の周りに倒れていた。
 もう一度顔を上げてその人を見ると、涼しい顔で私を見ていた。
 何か言わなきゃ! と思い口を開いたが言葉がすぐには出ずに私はしばらくもごもごしていた。俯いたり横を向いたりしていた。
「あ、えっと、すいません。大丈夫です……」
 やっと口をついて出てきた言葉がこれだった。
 あぁ私のバカ、どうしてもっと気がきいたことが言えないの。私は自分に舌打ちした。
 恐る恐る顔を上げると、その人は表情一つ変えずに言った。

「あぁ、そう。大丈夫ならいいんだよ、これから気ーつけな」

 じゃぁな、とその人はくるりと私に背を向け、ひらひらと手を振ってすたすたと歩き出していった。
 私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
 だけどまともにお礼も言っていないのに、あの人はもう人込みに消えようとしている。
 名前も何も聞いていないのに、ちゃんとしたお礼だけでも言わなきゃ。そう思い私は私を助けてくれた人を追いかけることにした。
 人込みをすり抜け、真っ直ぐ走るとその人はすぐに見えてきた。周りよりも少し背の高い頭、立てた髪。
 あぁ、あの人だ、そう思った。
 私は走ってその人の手を羽織っていたジャケット越しに掴んだ。その人はぎょっとしたように振りかえって私を見た。
 少しだけ息を荒くしている私を不思議そうに見ていた。
 そしてお礼を言おう、と思って再度口を開いたがやっぱり言葉が見つからず、するすると腕を放してしまった。
「えっと……ごめんなさい、さっきはありがとうございました」
 私は小さく頭を下げて言った。例えばお礼にお茶を奢るとかそういうことはやっぱり言えなかった。
 その人は目を丸くして驚いていた。そんなことを言いにわざわざ追いかけてきたのか、と言ったような表情をしていた。
 サングラス越しでよくわからなかったけれど。
 そして小さなため息をついてその人は口を開いた。


「別に、目の前であんなの見たら誰だって助けるだろ。礼なんか要らねぇよ、どうせもう会うこともねぇだろうしな」



 そう言ってその人はくるりと私に背を向けた。
 今度こそお別れだと思った。だけどその人はすぐに歩き出したりはしなかった。
 私は少し不思議に思って1歩近付いて見た。
 すると


「――――――――――」
「……え?」


 そしてその人はようやく歩き出していった。私は一人その場に立ち尽くしていた。
 ただ、その人が歩き出す直前に微かに聞こえた言葉が頭の中で駆け回っていた。
 
 「もう俺に近付くんじゃねぇよ」と、そう言っていた。
 私は暫く歩き出すことが出来なかった。


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