God bless you.

-io felicito.



 いつだって思い出すのは眩しい光に包まれた優しい記憶
 手を取り合って笑いあって、どんなときでも幸せだったあの記憶たち
 色鮮やかに蘇ってくる
 確かに自分はここにいる、存在している、誰かが自分のことを覚えてくれていたら、ただそれだけで。


- 15 -



「ナーヴァ、準備出来た?」
「ちょっと待てっつのお前準備早すぎ」
「いやお前が遅いんだろ……」

 あれから俺はリィが持ってきたパンを二つ食べて(珍しいことだ)ベッドを出た。
 リィは俺が外に出ることを喜んでいた。早速自分の服のいくつかを引っ張り出してきては俺に手渡し、自分もその支度を始めた。
 俺はそんな彼の様子に少し呆れながらも(ただ俺が外に出るだけのことなのに)手渡された服に袖を通した。
 彼の服は俺には少し大きくて(俺が痩せているからだ)自分でもこの手の細さはどうかと思ったが気にせずに部屋を出た。
 玄関にはもうすでにリィが靴も履き終えて立っていた。
 そして俺はふと玄関で足を止めた。

「……靴、ねぇんだけど」

 考えてみれば俺はここまで裸足で逃げてきたのだから自分の靴なんて存在するはずがなかった。
 また裸足か、まぁ別にいいけど。と小さくため息をついてそのまま床に足をつけようとしたらリィに止められた。

「なんで裸足なんだよ。俺の靴履けばいいじゃん」

 ほら、としゃがみ込んだリィから差し出された靴を見て少しだけ躊躇ってから足を伸ばした。





「いい天気だな」
「……そうだな」

 見上げれば透き通った空が広がっていて、真っ白な雲が溶け込んでいた。
 光を浴びた小鳥たちの鳴き声がする。何故か人は歩いていない。
 俺の足に対して少し大きめのリィの靴は踵を上げるたびに足が浮き上がった。ぱかぱかと少し間抜けな音がする。
 物凄く久々に太陽の光が降り注ぐ時間帯に外に出たような気がした。
 
「あ、そっか。お前ここ歩くの久々だもんな」
「つーかこの時間帯に外に出るのも久々だよ」

 それもそうだな、とリィが小さく笑った。
 透き通る空、真っ白な雲、響く小鳥たちの鳴き声。
 そのすべてが俺には懐かしく新鮮だった。
 あの場所に来る前は当たり前だった光景、色、音。それらをまたこの目で見られる日が来るなんて思わなかった。
 そして、リィにまた会えるとも思っていなかった。
 そのリィは、今俺の少し前を歩いている。

「リィ」

 声をかけると彼は簡単に立ち止まった。
 振り向いて愛嬌のある顔を俺に見せてくれる。

「ありがとな」

 リィの目に驚きの色が浮かぶ。俺は少し照れくさくて少し顔を伏せた。
 だけど俺は笑っていた。
 リィも嬉しそうに笑った。

「どういたしまして」




 それから教会までの道を二人で歩いた。
 リィは最近の教会にいる子供たちの話や、市場で見たことを話してくれた。
 みんな元気過ぎてたまについていけなくなるとか、市場の果物売りのおばさんは頼めばすぐに負けてくれるとか、そんなことを。
 俺は笑ってその話を聞いていた。
 暫くの間だったが、俺は過去を忘れることが出来た。笑っていられた。
 リィも俺の笑顔を見て嬉しそうに、色んなことを俺に話してくれた。
 そこにはかつて俺が過ごしてきた日常があった。当たり前のようにそこにあった日常だった。
 失って初めて、その大切さに気がついた。 
 ここには神がいる。確かに存在している。
 だからきっと、俺はここに戻ってこれたのだと思った。




「着いたよ、ナーヴァ」
「うわ……」

 思わず声を上げた。
 そこには俺の記憶とどこも変わっていない、あの時の教会があった。
 長い塀が続いていて、入り口には大きな黒い柵。今それは開かれていて、建物へと続くまっすぐな石畳。その先にある白を基調とした外観。
 屋根の頂上には黒い十字架があって、所々を蔦が覆っている。
 俺が10歳まで確かに過ごしていた、あの教会だった。
 その懐かしさに目を奪われていた俺に隣からリィが声をかける。

「懐かしいだろ?」
「つか、全然そのままじゃん」
「そう言うと思った」

 さ、行こう。とリィが俺の手を掴んで歩き出した。
 まだ全然心の準備が出来ていなかった俺の心臓が跳ねる。

「ちょ、待てってリィ!」
「なんでだよ行くって言ったのお前じゃん」
「つったってまだ俺心の準備が…!」
「はいはい着きましたー」

 構わずぐいぐいと俺の手を引っ張って歩かれると、教会のドアはすぐに俺の目の前まで近づいてきた。
 リィは俺の返事も聞かずにその重そうなドアを開けた。
 ギィ、とドアの軋む音がする。
 懐かしい。確かあの頃もこの古びたドアは開けるたびにこんな軋んだ音を立てたはずだ。そしてその向こうに待っているのはいつだって。


 いつだって。







「             神父、さま」






 あぁそうだ俺は確かにここに存在していた。
 あのステンドグラスから差し込む七色の光が好きだったんだ。あのイエスの十字架へと祈りを捧げていたんだ。
 そして何よりも、
 何よりも


「……ナーヴァ?」


 この神父さまの優しい笑顔が、好きだったんだ。




 俺の手がリィから離れる。自然と足が動く。ステンドグラスへと、イエスの十字架へと続く石の床を真っ直ぐ歩いていく。
 そうだ、あの場所に立っているのはいつだって変わらない、あの神父さまだ。
 俺を10歳まで育ててくれたあの神父さまだ。
 俺の足は止まらない。 真っ直ぐに真っ直ぐに歩いていく。

 そして立ち止まった。
 ゆっくりとゆっくりと顔を上げると、そこには確かに、俺の記憶の中にあるひとがいた。
 5年経って、皺も増えているけれど、確かにそのひとは俺の記憶の中にいた。
 泣くんじゃねぇよさっき散々泣いたじゃねぇか。
 ぼろぼろと、零れ落ちていくのは5年という長かったあの時間だろうか。

 記憶が、一気に戻ってくる―――――……


『ナーヴァ、今日は何処に行っていたのですか? そんなに汚れて』
『いい加減にしなさい! 今日という今日は許しませんよ!』
『よく見つけてくれましたね、ナーヴァ』




「大きくなりましたね、おかえりなさい。ナーヴァ」




 あぁ、そうだ。
 この言葉が欲しかったんだ。



 優しい手が下りてくる。伸ばされたその手は温かかった。まるでその人の心を表しているかのように。
 眼鏡をかけたその人は台座の上から俺を優しく抱きしめてくれた。
 そのあとで膝をついて、俯いた俺の顔を覗き込むようにして優しく語り掛けてくれた。
 涙が止まらなかった。


「私の背よりも大きくなってしまったのですね」
「……はい」
「毎日祈っていたんですよ、貴方が無事でいますようにと」
「……はい」
「もうずっと、会えないかと思っていました」
「……はい」
「長かったですね、この5年間は」
「……ッはい」


 この5年間で俺の背は優に神父さまを超えてしまった。声だって低くなってしまった。言葉遣いだって変わってしまった。
 もうここに来ることはないだろうと、あの部屋にいた頃思った。
 無機質な冷たい壁に囲まれて、この冷たい床で俺は死ぬんだとずっと思っていた。
 もうみんな俺のことなんて忘れてるに決まってる、そう思っていた。
 
 やっと、やっと止まっていた時間が動き出したような気がした。



「神父さま、」
「何ですか?」

「……懺悔を、聞いてくれませんか」


 神父さまは俺の目を見たあと、ゆっくりと頷いてくれた。
 そして立ち上がり、ゆっくり奥へと歩き出した。

 俺はその後姿についていった。


 left : 10th December 2005

 あなたに会えてよかった
 あなたとまた、出会えてよかった

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