God bless you.

-io felicito.



 目を覚ませば貴方の姿があって
 それが何気なく続く日々の一片になればいいと心から願って
 いつか終わるその日のことを考えなかった
 伸ばした手が そのまま虚空を掴んで落ちていくあの光景を


- 14 -



 瞼に降ってきた光の重みでゆっくりと目を開いた。そして同時に眩しい光の量に目を細めた。
 もう昼だろうか。俺は石のように重くなった体をゆっくりと起こした。
 まだ身体が痛む。きっとこの調子じゃ俺の腰はまだ砕けたままなのだろう。別に立ち上がりたくもないし歩きたくもなかった。
 くしゃ、と髪を掴んだ。パサパサとした感触がする髪はぼさぼさだ。
 窓からは眩しい光が直線を描いてこの部屋に差し込み続けている。少し開かれた窓からは少し冷えた風が時折通る。
 その風が俺の髪を掠めた。その予想以上の冷たさに思わず身体全体が震えた。
 と、その時。

 ふわり、と。


「……ッ?!」


「まだ起きなくていいよ。身体痛むだろう?」

 不意に肩へと下りて来たのはリィの上着だった。何時の間にか起きていたリィが床から拾いあげたものだろう。
 俺はリィの顔を見るのが少し気恥ずかしくて思わず顔を背ける。
 くす、とリィが笑ったような気がした。
 ゆっくりと起き上がってベッドから抜け出す。そして屈み込んで適当な服を羽織ったリィは振り返る。

「何か食べるもん持ってくる。お前はそこにいていいよ」


 顔を背けたまま頷いた。
 しかしリィの気配は消えない。部屋から出ようとしないのだ。
 やがて声が聞こえる。
 
「ナーヴァ」
「……んだよ」
「こっち向いて」
「は?」

 思わず背けていた顔を元に戻す。
 そこに待っていたのは。


「………!」



 ただ触れるだけの優しいキス。
 すぐに離れたそのキスのあと、リィの顔がすぐ近くに見えた。

「愛してる」


 その意味を飲み込むまでに数秒かかった。放心したような表情の俺に微笑み、くしゃりと頭を撫でると今度こそリィは部屋を出ていった。
 そして先ほどの言葉の意味を飲み込み、今自分が洗礼にも似たキスを受けたことに対して俺の体温はようやく上昇を始める。
 殴り飛ばしてやりたかったがその本人はもういない。
 恐らくは真っ赤になっているだろう自分の顔を隠すように、俺は膝を抱えた。








『好きだよ、ナーヴァ』

 あの言葉がまだ頭の中を巡っている。
 あの薄暗い部屋の空気、ベッドの軋む音、触れるリィの手、そしてあの熱を。
 自分は全て覚えている。
 触れることすら、手を伸ばすことすら叶わないと思っていたリィの身体がそこにあった。
 こんな俺の手を、取ってくれた。
 

 そして俺は今幸せだ。


 いい気なもんだな人ひとり殺しといて自分だけ幸せになろうなんてよ。何処かで声が聞こえる。きっと耳を塞いでも響き続けるであろうその声が。
 人殺しにそんな権利なんてあるわけないのに。あってたまるかそんな権利を人殺しに認めたらこの世界はきっと終わってしまう。
 そして俺はその一人になってしまった。
 神の祝福はもう途絶えてしまった。
 俺は10才で神からの祝福を失った。男に抱かれた。抱かれ続けた。神の存在だって否定できた。
 そして人を殺した。この時点で俺はもう人間としての資格も捨ててしまったも同然だというのに。

 自分はまた彼を愛してしまった。

 神様、俺は貴方を否定してしまいました。
 生まれた時から教えられた貴方の存在を、否定してしまいました。


 そして一度俺は人の道から外れてしまったというのに、またここに戻ってきています。


 後悔が募る。いくら泣いても消えない傷と後悔が締め付ける。
 どうして、どうして自分は
 ひとを殺すなんてことを。
 







「ただいま、……」

 かちゃん、とドアが開いてリィが帰ってきた。手にはいくつかのパンと水差しが抱えられていることだろう。
 俺は顔を上げない。
 リィの足音が近づいてくる。ことん、ベッドの横にあるテーブルに水差しが置かれる。
 
「ナーヴァ?」

 影が落ちた。
 俺は顔を上げない。
 膝に顔を埋めたまま答えようとも思わない。
 そこにしばらくの沈黙が訪れようとも、俺は顔を上げない。


「……泣いてるの?」


 ――――――……。
 
 そこで俺は初めて顔を上げた。
 

 ぼやけた視界に辛うじてリィの実像が映る。瞬きをするたびに涙が落ちて視界が一瞬鮮明になる。それもすぐピントはずれてしまうのだが。
 俺は泣いていた。
 

「ねぇ、ナーヴァ」

 ゆっくりとリィがベッドに座って俺を見る。

「やっぱり、辛い?」

 俺は小さく、それでもはっきりと頷いた。頷いた拍子に涙がぼろぼろと落ちる。
 ベッドを濡らしていく。
 泣いて自分が許されるわけじゃないわかっている。

「……そっか」

 リィがひとつため息をついたのがわかった。
 お前がため息をつく理由はないだろうと言ってやりたかったが口は開かなかった。口を開けばそれは嗚咽に変わるだけだと知っていた。
 涙はまだ止まらない。
 リィはしばらく答えなかった。答えられないのかもしれない。
 俺は俯いて顔を上げない。
 そしてまた沈黙が訪れる。今度はどのくらい居座るつもりなのだろうか。
 しかしその沈黙は意外に早くこの部屋を出ていった。

「ねぇ、ナーヴァ」

 顔を上げた。
 リィが俺の目を見ていた。
 

「教会行ってみない?」


 耳を疑った。
 そして身体に電撃が走ったような気がした。
 恐る恐る聞き返した。

「きょう…かい?」
「うん」

 リィは頷いた。俺は返事を返せなかった。自然と視線がリィから外れる。
 教会とは、リィの言っている教会とは、俺が10歳までの俺が居場所にしていたあの教会のことなのだろうか。
 教会でもあり孤児院でもあるその場所は、小さな礼拝堂があって、そこにはいつも同じ神父さまが、
 神父さま。
 俺はリィの言わんとしていることがわかったような気がした。
 リィは小さく頷いた。

「懺悔、してみる?」

 それで少しでも君の気持ちが晴れるのなら。リィはそう付け足した。
 俺はまた考えた。それで少しでもこの気持ちが晴れるのだろうか。少しでも楽になれるのだろうか。俺はまたあの神父さまに会えるのだろうか。
 あの教会に足を踏み入れることを許してもらえるのだろうか。
 あの教会は俺を覚えているのだろうか。
 そんなことを考え、返事を躊躇っている俺にリィは言った。

「神父さま、今でもお前のこと覚えていたよ。ナーヴァは、今どうしているだろうかって、すごく心配してた」

 はっとした。
 俺の視線はまたリィの目へと戻る。
 その目に嘘はなかった。

「今、でも?」
「うん、今でも。神父さまの性格はお前も覚えてるだろ? 大丈夫、あの人今でもきっとお前に優しいから」

 それにお前、帰ってきてから俺くらいにしか会ってないしな。
 

「―――――………」

 神父さま。
 俺が覚えているあの神父さまはいつだって優しくて、でも時には厳しくて、いつも俺を守ってくれていた。
 あの神父さまがまだ俺を覚えている。
 もしかしたら、もしかしたら俺はまだあの教会に覚えてもらっているのかもしれない。
 まだこの足を踏み入れる資格も残されているかもしれない。
 俺は顔を上げた。


「……わかった、行くよ」


 left : 9th December 2005

 まだ自分が誰かの中に生きているなら、
 まだ自分を認めて世界が存在しているなら。

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